赤い実が越えた海 —トマトがたどった五百年の旅—一粒の実が変えた、世界の味。

🍅 たねから世界へ|時をかける野菜のものがたり 第一回

サラダに、パスタに、ピザに……。
トマトは現代の食卓に欠かせない野菜のひとつです。
けれど、その赤い実が人々に「おいしい」と認められるまでには、数世紀にわたる誤解と旅路がありました。

私たちが今、当たり前のように口にするトマトは、じつはかつて「毒の実」として恐れられた時代すらあったのです。
本編では、そんなトマトの長い旅と人間との関わりをたどってみましょう。

🍅 アンデスの高地に育った“野生のトマト”

標高2000メートル、風に揺れる未来の実。野生のトマトが宿す、文明への予兆。
標高2000メートル、風に揺れる未来の実。野生のトマトが宿す、文明への予兆。

トマトの原産地は、南米アンデス山脈。
現在のペルーやエクアドルにあたる地域の乾燥した高地に、小さな赤い実をつける植物が自生していました。

それは、いわば“トマトの原種”。
現代のミニトマトに似た姿をしていましたが、もっと酸味が強く、食用というよりも薬用や儀式に使われていた可能性もあります。

トマトを“トマト”と呼ぶ言葉の起源は、ナワトル語(アステカ語)の「トマトゥル(tomatl)」。
この言葉は16世紀、スペイン人によってヨーロッパに伝えられる際にも形を変え、「tomate(スペイン語)」や「tomato(英語)」へと受け継がれていきました。

玉川学園「アステカ人の贈り物 栽培トマト」
アステカ人によるトマトの栽培と、その品種改良の過程について解説されています。
🔗 アステカ人の贈り物 栽培トマト|月刊誌「全人」玉川学園

🍅 大航海時代、トマトは世界へ渡る

香辛料を求めた航海が、野菜の未来を連れてきた。トマトと世界の交差点、大航海時代。
香辛料を求めた航海が、野菜の未来を連れてきた。トマトと世界の交差点、大航海時代。

16世紀の大航海時代、コロンブスやピサロたちが南米へ航海し、さまざまな動植物が“新大陸”から“旧大陸”へと持ち込まれました。
トマトもそのひとつです。

当初、スペインに渡ったトマトは、主に観賞用として栽培されました。
その姿かたちは異国情緒たっぷりで、ヨーロッパの人々にはどこか“神秘的”に映ったのでしょう。
なかでも人気だったのは、赤ではなく黄色の品種。
イタリアでは「ポモドーロ(黄金のリンゴ)」と呼ばれ、庭先を飾る植物として親しまれました。

毒か、薬か。トマトが裁かれた時代

ところが、人々が口にするには少し時間がかかります。
なぜなら、トマトはナス科の植物。
当時のヨーロッパではナス科の草木に“毒”というイメージが強く、さらにトマトの酸が鉛製の皿やスプーンに反応して体調を崩す例もあったことから、「やはり毒だ」と噂が広まってしまったのです。

🍅 食材としての“逆転劇”はイタリアから

誤解を煮込み、味に変えた。トマトとイタリア、奇跡の出会い。
誤解を煮込み、味に変えた。トマトとイタリア、奇跡の出会い。

この“毒の果実”という汚名を払拭したのが、やはり食文化の都・イタリア。
18世紀末には、ナポリ地方でトマトソースが開発され、パスタとともに庶民の味として急速に広がっていきます。

トマトソースの発明は、ヨーロッパの料理に革命をもたらしました。
赤くて甘酸っぱいソースが、小麦粉文化との相性抜群だったのです。
パスタ、ピザ、スープ……イタリア料理が世界へ羽ばたくとき、トマトも一緒に旅立ちました。

一方、フランスやイギリスでは受け入れが少し遅れます。
フランスではトマトが料理に登場するのは19世紀に入ってから。
イギリスでは“愛のリンゴ”などという呼ばれ方をしつつも、なかなか家庭に定着せず、むしろアメリカに渡ってから大きな転機を迎えます。

Y-History.net「トマト」
ヨーロッパでのトマトの受容史、特にイタリアでの料理への導入について詳述されています。
🔗 トマト|ハイパー世界史用語集Y-History.net

🍅 アメリカで生まれた“ケチャップ文化”

ひとさじで、誰もが笑う魔法の赤。ケチャップが変えた家族の風景。
ひとさじで、誰もが笑う魔法の赤。ケチャップが変えた家族の風景。

19世紀後半、アメリカではトマトの大量栽培が始まり、加工品としての利用が進みます。
その象徴が「ケチャップ」。
元は中国や東南アジアの魚醤に由来するこの調味料が、トマトベースに変化し、アメリカ流の甘い味付けで世界中に広がりました。

また、アメリカではトマトの品種改良も進み、缶詰用、加工用、生食用とさまざまな形で農業と食品産業をつないでいきます。

🍅 日本におけるトマトの受難と栄光

遠い異国の果実が、弁当箱に収まるまで。トマトと日本人の百年物語。
遠い異国の果実が、弁当箱に収まるまで。トマトと日本人の百年物語。

日本にトマトがやってきたのは江戸時代。
しかし、やはり観賞用としての扱いで、庶民が口にすることはほとんどありませんでした。
食用として広まり始めたのは明治以降。西洋野菜のひとつとして紹介されましたが、当初は「青臭い」「酸っぱい」と敬遠されがちでした。

それが変わったのは、戦後の洋食文化の広がり、そして昭和のサラダブーム。
1970年代以降、「生でおいしい」トマトの品種が次々に開発され、ついには「フルーツトマト」と呼ばれる高糖度品種が人気を集めるようになります。

産直プライムブログ「知られざるトマトの歴史」
トマトの南米起源からヨーロッパ、日本への伝播と、それぞれの地域での受容についてまとめられています。
🔗 知られざるトマトの歴史~南米からヨーロッパ、そして日本へ~|産直プライム

🍅 コラム:トマトは“赤”だけじゃない?

現在では、トマトには実に多彩な色と形があります。
赤、オレンジ、黄色、緑、紫、黒……。
丸いもの、細長いもの、房でなるものまで、まるで“トマト図鑑”を眺めているようです。

これは、長年にわたる品種改良と、世界各地の在来種の保存があってこそ。
ときには、野生種に立ち戻って病気に強い遺伝子を探す研究も行われています。
トマトはまさに、現代の農業技術と自然多様性の架け橋なのです。

🍅 おわりに:トマトは、時代とともに育ってきた

500年の旅を経て、いま、あなたの庭へ。トマトは歴史を実らせる果実。
500年の旅を経て、いま、あなたの庭へ。トマトは歴史を実らせる果実。

トマトは、最初から今のようにおいしかったわけではありません。
人々が恐れ、やがて受け入れ、料理や文化のなかで育て、磨き上げてきた野菜なのです。

そして今日も、誰かがその種をまき、誰かが育て、誰かが食卓で「おいしいね」と言う——
そんな営みの先に、私たちの食文化があります。

次にトマトを手に取るとき、ほんの少しだけ、その“旅の記憶”を思い出してみてください。

📝 次回予告:たねから世界へ|時をかける野菜のものがたり
第二回 キュウリ編|冷やし瓜とインダスの記憶野菜の歴史と文化